咲いて生きよ


ギリシャ悲劇観てゐる君の横顔に
舞台の淡きひかり来てをり


高野公彦さんの短歌。この歌を目にした時、ふと浮かんだのはウェブで「〜〜の見学へ行きました!」と報告してくれる彼らの姿でした。コロナに翻弄され少年忍者として有観客の舞台に立つことの叶わなかった彼らだけど、特に最近は先輩方の現場への見学に名前がよく上がっている。


ここ最近のことでいえば自分がチケットを掴めなかったことは関係なしに、クリエ中止は結構、いや正直かなり堪えた。身勝手な想像だとはわかっていながら心のどこかで、彼らの中の糸が途切れてしまうんじゃないかと心配にもなった。正直なところコロナ禍においてカメラ越しに無人の観客席を見つめる彼らの気持ちはわたしなんかでは何一つ図れる部分なんてなかったし現場に向けて受けていたインタビューがわたしたちの元へ届く頃には中止を受けて注釈がついたものへと変えられていることがしばしばあって、その度にぶつけようのないやりきれない煮え切らない気持ちが重くのしかかった。


そんな中で、先日の少クラで披露された「君、僕。」は暗雲をすべて薙ぎ払ってくれるようなパフォーマンスだった。22人だからこそ出来る、22人じゃないと出来ないことがあるってことを確かに彼らが証明してくれた。どのグループにも個性や強みがあって、そのグループにしか創り出せない世界がある。今の少年忍者の創り出せる最大の世界があのパフォーマンスだと思ったら、そして他でもない彼らがその手で創り上げたものなのだから、こんな頼もしいことはない。


冒頭にあげた歌、彼らが観ている世界は舞台なのか、コンサートなのか、はたまた別の形のエンターテイメントなのかはさておき、ステージ上から漏れ出る強い光に彼らのワクワクとした横顔が照らされている情景が浮かぶ。確実に何かを感じて、掴み取っている。スポンジのようにぐんぐん吸収して互いを高め合える存在として彼らは刺激し合える。

私生活において彼らもわたしたち同様きっと様々なことを我慢する日々に身を置いている。思い描いていた学生生活や当たり前が儘ならない非日常の連続だった。だけど、踏ん張れば踏ん張っただけ彼らはきっと高く跳べる。きっとこの夏、彼らは何十倍何百倍と成長した自分へとステップアップしてくれる。なんの根拠もないけどそう信じさせてくれる彼らはわたしにとってのかけがえのない希望です。

彼らの眩さに目を閉じてしまわぬように、駆け足で通り過ぎていく彼らの姿を一瞬でも見逃さないように見つめていたい。


改めて、少年忍者結成3周年おめでとう。

貴方たちの前にさらに胸が躍るような新たな道が拓かれる1年でありますように。



2021.06.09