オーバー・ザ・レインボー


舞台「マシーン日記」
3/14 18:30 京都 ロームシアターにて

小さな町工場・ツジヨシ兄弟電業を経営するアキトシ(大倉孝二)は、妻サチコ(森川葵)とともに自らの工場で働いていた。工場に隣接するプレハブ小屋に住む弟のミチオ(横山裕)は、壊れた機械を見ると直さずにはいられない電気修理工。ミチオは訳あってアキトシに監禁されており、小屋と右足を鎖でつながれていた。一方のサチコには、かつてミチオに強姦された過去があり、未だ不倫関係にあった。
そんな中、工場に新しいパート従業員としてサチコの中学時代の担任で体育教師であったケイコ(秋山菜津子)がやって来る。数学的思考でものごとを考え、極度の機械フェチでもあるケイコは、壊れた携帯電話を直してもらったことをきっかけにミチオと結ばれ、「あんたのマシーンになる」と服従を誓う。小さな町工場を舞台に、男女4人の情念渦巻く愛憎劇が始まる・・・。

(あらすじ / 公式HPより)



センターステージにミチオが繋がれているプレハブ小屋が不気味に鎮座している。序盤はその上に絶妙なバランスで"家族"が揺れる。そしてそれはケイコの登場と共に歪み始め、ついに音を立てて崩れ落ち最後にはそれが火種となり街を炎が飲み込んでいく。わかりやすい愛憎劇かと思えばちょっと悪趣味なポップさがアクセントとして美味しい、重たいのにまた食べたくなるような癖の強い味のする舞台。

エロとバイオレンス、その隙間にいる4人の中に行き交う感情の名前は単なる家族愛や異性へ向ける純愛とは言い難い。みんながみんな、相手を見ているようで自分しか見ていない。そのくせ誰かに依存して生きている。支配すること、支配されることで生を実感している。普通じゃないと言ってしまえば簡単だけど、アレがあの人たちにとって記された日常であって普通なのであればあの世界を普通だと思えないわたしが狂っているのではないか。そして劇場から一歩踏み出して夜風に触れてから「やっぱりみんな狂っていた」と夢から醒めた。

鎖に繋がれたミチオは、一見自由を奪われた可哀想な人だけど「これ(鎖)だからな」と何度も繰り返すミチオは実は鎖によって外界から自分を守っていたように見える。自分が命令すれば人の命すら簡単に奪うであろうマシーン3号に決して無慈悲な命令をしないミチオは破天荒なようで臆病な男で、正気と狂気の隙間にいるその様は危うさの中に美しさすら包含している。人に支配されることで人を支配しているが、支配されたがっているサチコのことは支配してあげない狡い男。白に近い金髪が暗闇に薄ぼんやりと艶かしさを携えながら浮かぶ様子がひどく脳裏に焼き付いている。

"10を3で割るような"喋り方をするサチコは主役の座を欲している癖に、いつだって被害者に擬態する。思い出の中で美化されていた恩師ケイコと再開して自分の中にある強者へのルサンチマンに首を絞められる。当分はOver the Rainbowを街中で耳にするたび、偶然にも現れたライオンとカカシとブリキの木こりを前にドロシーになれた彼女のことを鮮明に思い出して背筋が凍る思いをするかもしれない。サチコを演じた森川葵ちゃん、本人はあんなにも可愛らしい人なのに舞台上にいるサチコは哀れで惨めで、ちょっとイタイところのあるキャラクターがとてもよく出ていた。

ミチオの兄、アキトシは一見ただの陽気なあんちゃん、のような顔をしながらエディプス・コンプレックスに苛まれ(彼ら兄弟の両親の話は語られなかったが)実の弟ミチオを支配することで一種の安心感を得ている。テンションが高く無邪気な表情の多い中で、突然瞳から光を消して豹変する様子には背筋が凍った。狂ったように雑誌を食いちぎった後に発された、何度も再演を繰り返されたこの舞台の2021年版ならではの「鬼滅美味ッ」のあっけらかんとした一言が妙に頭に残っている。

ケイコは強くて有能、そしてわたしが最も理解に苦しむあの中での異質な存在。それでいて最も目が惹かれる強烈なインパクトのあるミチオのマシーン(正確には3号)。1+1=2は理解に苦しんだくせに1-1=0で全てを把握する。支配する側の人間のように見えるケイコは、なぜミチオに支配されたがるのか。「あんたと私がここから真逆に歩いていくとどうなる?......地球の裏側で、男の趣味が一致すんだよ」論理的な人間の語る無茶苦茶な話は妙に説得感があるようで滑稽だ。


時々映し出される日記形式のナレーション、舞台上にばら撒かれるコーンフレーク、躁と鬱、小気味良いブラックジョーク、正気と狂気、男と女、1+1=2と1-1=0、全てを轟音で包み込むサカナクション監修のマシーンテクノ、回り続けるプレハブ小屋、狂気と破壊そして破綻。
あの舞台におけるわたしたちはただの観客であり、それと同時に4人の中の誰かしらを自分の中に宿している。その誰かを見つめた時生まれゆく感情は同情なのか、共感なのか、それを通り越した先にある共感性羞恥、はたまた嫉妬。わたしはあの場にいるサチコに酷く腹が立つ。サチコはサチコで、それでいてわたしだ。いつも自分ではない何者かに憧れ、恋焦がれ、手に入れようともがく。ミチオに抱かれながら「あの人にしていないこともして!」と声を上げる。追われるかのようにいつも誰かにコンプレックスを抱いている。そのくせ自尊心が高い。ただし、自己肯定感は果てしなく低い。自分の中の汚い感情を刺激されるようで居心地が悪く、なんともむず痒い時間もあれば行き過ぎた言動・行動を目にして少しばかりホッとする瞬間もある。狂人を傍観して自分が平凡であることを再認識する。ただし、この舞台は「マシーン日記」であって「狂人日記」ではない。この舞台で描かれているのは狂人ではなく誰かを支配し、誰かに支配されるマシーンの存在なのであった。


この舞台の末恐ろしいところは、この登場人物たち、そしてツジヨシ家そのものは確かに物語として狂気を帯びているように描かれているがDVや強姦、監禁なんてものは案外世の中に想像以上に普通に存在しているというところである(もちろんあってはならないことではある)。ニュースで見かけて"ヤバい"という一言で片付けてしまっているだけのことであって、なにも全てがフィクションというわけではない。

あの空間は果たしてミチオが繋がれていたのか、それともミチオが繋いでいたのか。奇しくもわたしがこの世に産まれた、横山くんがジャニーズ事務所に入所した1996年に創り出された「マシーン日記」。全く違う24年間を経た全てが交わったあの濃密で異世界的な3時間をわたしはきっとこの先も忘れることが出来ない。